過去ログ

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本の話

そういえば自己紹介的なことをいちども書いたことがないなと思って、つれづれ好きな作家とか作品について書いてみようかなと。ちなみにわたしはつねづね言っているとおり文章を読むことも書くことも嫌いです。。

たぶん人生ではじめて好きになった作家なのだけど、なにが好きどこが好きというよりは芥川が好きだからこういう人間になってしまったというか。それこそ文字が読めるようになってすぐくらいから数えきれないくらい繰り返し読んでいるので刷り込みに近いと思う。文中に突然横文字が出現するのも芥川の真似だし。といっても説話の翻案みたいなのはそこまで興味がなくて昔からずっと後期のどうしようもなく陰鬱な作品群が好きで、いちばん好きなのは闇中問答。あとわたしは過剰な物語性が苦手なのだけどそこもたぶん芥川のせいなんじゃないかと思う……。

大人になってサリンジャーが好きって言うのは死ぬほど恥ずかしいのだけどやっぱりこれも刷り込みに近いなと思う。もちろん当たり前にa perfect day for bananafishが好きというベタさ。。あとはこれもウザいくらいいつも書いてるけどザカリ・マーティン・グラース通称ゾーイーがとても好きです。わたしは特定の信仰を持たないのでキリストがどうとか東洋神秘主義がどうとかは共感できないのだけど、それを差し引いてもフラニーとゾーイーはいつ読んでも心にくる。とか言ってるからまたバカにされるんだろうけどな。。。

メタフィクションが好きなのはエンデの影響かもなとたまに感じる。子どものころに読んだ『鏡のなかの鏡』が強烈すぎて、あるとき鵠沼の古本屋で見つけて衝動的にその店に飛び込んだくらいなのだけどさてあの本いまどこやったかな。いま振り返れば物語の内容よりも形式に強く惹かれるきっかけだったかもしれない。大人になってから読んだ『自由の牢獄』はものすごくこれSFだ!と震えたのだけど友達に言っても反応は薄かった。。

最近またちょっと活動してくれているみたいで嬉しいのだけど、このひとの本領はあんまりイデオロギー的なとこにはないと思うのだけどな。。とにかく文章の身体感覚が半端なくて痛いほど気持ちいい文体というか。きわどい表現が多いから手放しで薦められる作家かと言われるとちょっと謎なのだけど、とにかく何度読んでもすごく生理的なレベルでわかる、と思える。個人的には蝶の皮膚の下の航は二階堂くんのイメージ。。

中学生くらいのときにやることなくて最初に群像を読んでからずっと、そんなに熱心ではないもののいまだに思い出したように文芸誌のチェックは続けているのだけど、ちょうどそのころ『コイビト』を読んでなんだこのひとは!と衝撃を受けて、それ以来新作のたびに衝撃を受け続けている。ずっと女性性や母親との相克にかんする苦しみをテーマにしていると思うのだけど、ここ2,3年になってついに絶妙に結末が現実から浮遊するようになってきて、その違和感の描き方がすごいなと思う。

むかし登場人物のいない小説って成立するんだろうかと考えていたことがあって、そのときはできたとしてもつまんないだろうと勝手に納得してたのだけど、まさかそれを実現させてしかもおもしろく書けるひとがいるとは思いもしなかった。『このあいだ東京でね』は全編にわたって都市が主人公ともいうべき作品で、ひとを選ぶとは思うんだけどはまるひとには強烈にはまると思う。でもその後ずっと日誌的というか、特定の視点人物が存在しない淡々とした前衛的な作風を続けていたのだけど、デビュー作の『四十日と四十夜のメルヘン』のちょっと叙情的な感じも恋しいなと思っていて、そこへきての『匿名芸術家』はこれまでの試みが一気に結実した!と感じられてとても嬉しかった!

10代のころ表現のタブーということに興味のある時期があって、その流れで発禁になった本について調べていたことがあったのだけど、そういう話題でまず出てくるのが深沢七郎『風流夢譚』。でもう時効だと思うのだけどそれを全文載せている知るひとぞ知るサイトがあって、そこに同じく載っていたのが桐山襲の『パルチザン伝説』で、一気に引き込まれた。と書くと政治的な主張の強い小説みたいに見えてしまうのだけど、本人の言うとおりとりたてて騒がなければ問題になることはなかったような作品で、この後も桐山襲学生運動新左翼をテーマにした小説を発表するけど、どれもその時代を誠実に描こうとしたらそういうテーマを描かざるをえなかったという印象を受ける。『神殿レプリカ』とか読むと単純に幻想小説家としての文才も強く感じて、早世したのが悔やまれる。このひとの文章はとてもリリカルで、多感な時期に出会ったこともあるけどずっといちばん好きな作家。

2年くらい前に突然読まなきゃいけない気がして吸い寄せられるように読み始めた。いつもなにかを好きになってしまうときはこうやって突然直感が働くことが多いのだけど、案の定完全に圧倒されて、もし高校生とかで読んでいたら理解できないまま飲み込まれてしまったかもしれないと思った。とくに好きな『蝸牛』とか『浄徳寺ツアー』とか、陳腐かもしれないんだけどわたしの好きなリリカルで暴力的という概念そのものが詰まっている。ありえないくらい繊細で傷つきやすいのに、というかだからこそ?どうしようもなく乱雑で粗暴。もうひとつかれの作品に強烈に惹かれる理由は、そのどこにも居場所のなさというかどのコミュニティからもおまえはあっち側の人間だとみなされてしまう感覚。たまにしたり顔で「中上はさも自分は路地の人間だというように書いているけど実際は読書家で予備校行くふりしてふらふらできるようなインテリだったんだよねー」とか言ってわたしをやりこめたような顔してくるひととかいるんだけど、実父-養父/路地-新宮/紀州-東京/日本-アメリカというどの対立軸においてもどちらかに属しきることができない孤独、こそがかれの特徴なんだとわたしは勝手に思っている。あと文章的なことで言うと視点とか主語がひとまとまりの文のなかでも突然わかんなくなったりして、すらすら読めないというかすごくひっかかる。翻訳するとしたら大変だろうなあと思った記憶がある。文体自体にそういう強い圧があるのだけど、ストーリーテリングとしても巧みでいろんな相反する要素を包含した作家だなあと思う。あとこれは私情の部分が大きいけど、宗教を軽蔑しながらも信仰をもたなければ生きられないひとたちの存在を知っているところもぐっとくる。



最近書いてましたがウィトゲンシュタインをこの一年くらいは読んでます。論考より探究派。あとピンチョンを読破しようと試みてますがいまだ『スロー・ラーナー』と『競売ナンバー49の叫び』のみ……。次どれに行くべきか考えあぐねてる感じです。
小学生とかのころはティーンズハート/ホワイトハートが好きだったのですけどとくに十二国記運命のタロットにはものすごく影響を受けてるなーと思いますいま思えばよくあんなに長い本ばかり読んでた!笑 運タロすごく面白いんだよ理屈っぽいけど!
ローティーンのころは講談社X文庫→メフィストファウスト→群像と進んでいたので実はけっこう講談社っ子だったのかもしれない。いまも本屋行って見つけたら群像(と新潮と文藝)はチェックしてます。でも大人になってからは河出がいちばん好きかなー……。苦手なりにもう少しまた読書とかしたいですね。ていうか小説の話をふだんあんまりしないのは単純に嫌いな作家が多すぎるからなんですよね……。大ざっぱに言うとおたくが好きそうな作家ほど合わないです。というわけでなんかおすすめあったら教えてください。