過去ログ

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ここのところずっと中上健次を読んでいます。恥ずかしながらつい最近まで全然読んだことなくて、でも絶対自分は好きになるだろうなという予感だけがあったのですが、予想通りというかむしろその想像以上にはまりこんでいます。とはいえやっぱり作品を読むのにまったく予備知識なしでは太刀打ちできない作家なのは確かなのと、あと自分の体力が低下しきっているのでなるべくとっつきやすそうなところから取り組んでます。いまのところ短編集をだいたい読み終わっていよいよ長編に手を出し始めた感じ。なので全然的外れなこと書いてたらごめんなさい。
短編集にはわりと私小説または私小説的ととれる作品が多いんだけど、印象的なのは視点がメタ的というか、一人称的な作品であってもどこか三人称的に感じるということ。一方でめちゃくちゃ激情にかられてるんだけど一方でそれを俯瞰している感じというか……。あとけっこう視点が混在してるというか誰の視点なのか瞬間的にわからなくなる文があったりとか。
テーマとしてもその出自である「路地」=被差別部落のことを描いた作品が主なのだけれど、なんらかの政治的主張をもって描いているというよりも路地がただ厳然とそこに存在するというその事実にこだわっているように感じます。実際本人がどう考えていたかはわからないけど、文章を通した限りでは諦念とかですらなく、それはもうそういうものなんだとして描かれている気がする。ひょっとしてそういうところが『神話的』と言われてる所以なのかなー。
あと、路地/新宮、新宮/東京、東京/アメリカという対比のなかで、そのどこへ行ってもどちらにも所属しきれない寄る辺のなさ、どっちからも向こう側の人間だと思われてしまう身の置きどころのなさみたいなものが一貫してあって、それが独特のリリカルさを生んでいるし、そこがたぶん自分が中上健次に惹かれる最大の理由だなと思っています。でもこれはちょっと自分の身に寄せすぎた読み方かもしれないけど。長編を読んでいくうちにまた印象が変わるかもしれません。数えきれないくらい作家研究されてるだろうしうかつなこと書くと自分の頭の悪さが露呈しそうだけど笑、とりあえずいまの覚え書きとして。