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かみしめるように最後の伝打伝助を読んだ。
とつかくんは写真集でも、冗談めかしてではあったけど自分は奇行をしているつもりはないと言っていた。たしかにとつくんは客観的にみて、奇矯でちょっとおかしな男の子(っていう年でもないのだけど)ではある。でも、同時にとつくんはなにも奇を衒ってるわけではなく、それがとつくんにとっての普通なんだよね。
同じだと言うのはあまりにおこがましいけれど、あたしも変わってるというか、もっとはっきりと協調性がなくて世間とずれてると何度もまわりに言われてきた。それに20代の前半くらいまではずっと自分じゃないだれかになりたいって、憧れと嫉妬を抱き続けてきた。最近はやっと自分を肯定できるように、というか自分を受け入れてくれるひともいるんだと思えるようになってきたけど。それでもやっぱりときどき憂鬱の波に飲み込まれることもあって。このブログだっておかしなことばかり毎日毎日書きつらねていて、ほかのひとからみたら滑稽でもしかしたら不快なんだろうけれど、あたしはただひっそりととつくんの歌やお芝居や文章やその他もろもろに触れていられればきっとうれしくなるというだけで、そこにほかのだれかの許しはいらないと思った。
とつくんの言葉はもともと強くてまっすぐで、だけどこれはそれにくわえてさらに大きな愛や肯定のかいなに抱かれるような感覚があるから、やっぱり伝打伝助という別人の姿を借りたからこそ書けた文章なのかもしれない。満員電車に乗るときにいつもこの少しの時間を助け合って乗り切ろうよって思うみたいに、この文章はあたしにとって心のなかの宝物です。、、これもまただれかを苛つかせてしまうのかもしれないね。でもそれでもいいや。とつくんをみていると、この世界は愛でできている、のかもしれないとほんのちょっとでも思えるから。