過去ログ

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2年生(前)

6月中に書こうと思っていたのにうかうかしていたら月が変わってしまいました。佐藤龍我くんがジャニーズ事務所2年生になっていました。入所日、というものが明らかにされていないので(あれて結局自己申告だから同じオーディションで入った子なのに違う日を言ってることもあるし*1、そこに重きをおいていないという可能性もある)正式な日付でお祝いすることができないのですが、記念日はできるだけ少ないほうがシンプルでわかりやすいし、これはこれでよいということにしましょう。ところで、たぶん事務所に入ってからの1年*2でほかの子の3年分くらいのできごとがあったのではないかと思うのだけど、駆け足で勝手に振り返りたいと思います。




あたしの記憶と記録がたしかなら、龍我くんがはじめて公に姿を現したのは、8月のはじめの健人くんのサマパラ。このときは、出てる曲数自体はそんなに少なくはないのだけど、立ち位置としてはわらわら。だけど、そのすぐ数日後にはがっつりメインバックとして、聡マリサマパラでほとんどの曲に出演しているし、自己紹介もさせてもらっている。ずっとダンスをやっていたとは言っても、入って2ヶ月弱の子がこんなに多くの曲数を覚えたのかと思うと驚愕するのだけど、これにさらに勝利サマパラも加わるという、、。ついでにふうまの公演に1回だけお邪魔したり(たぶんここがふじいさとなすの3人くくりの初出)もしつつ、1回目のミュージックステーション。いま考えると、どうしてサマパラに絶賛出演中の子が六本木組のキングのバックに出てくるのかとか、クラJがあるのにふじいだけなぜここにいるのかとかいろいろ不穏なんだけど、このときはあまりなにも考えず(ていうかまだ那須くんはともかく龍我くんの名前も知らない)ぼんやりとみていた気がします*3。その後の勝利サマパラでは天才さんといっしょにJr.コーナーに出てロンダートしたり、5人だけで1曲バックについたりもして、メインとまではいかないのだけどなかなかにいい扱いでした。たぶんこのときはまだふじい3*4とさとなすジーニアスの両方の可能性が模索されていて、大人もどうすっかな〜といろいろ試してたところだったのかなと。
そんなこんなで慌しい8月が終わり、9月に入るとすぐ少年収にも呼ばれて、そこから気づけば毎月ずっと出ています。これはほんとうにとても得がたくありがたいこと。はじめて出た*5少年が放送される10月には、ゴゴスマ占い当番にも抜擢されました。これははじめての個人でのお仕事で、たぶんあたしが龍我くんのことをちゃんと認識したのもこれがきっかけのはず。そのときはまだ、ちょっとやんちゃな見た目もあってそこまでぴんときてはいなかったのだけど、とりあえず心にひっかかるものは残っていました。雑誌にはじめて載ったのも10月。このときはwuとmyojoで、どちらもふじい3なのでこのへんから上の方針も固まり始めたのかもしれない、少年収でももうふじい3が次のJr.にQに出ることが予告されていたし。余談ですが10月の少年収といえば*6ふじい3あらためふじい5(後世になってこれは東京B少年と呼ばれることになります)が出現した衝撃的な回でもありました。。ふじい5の出現、それはいまおもえば同時にクラJとJetsの解体を宣告していたのでした。
そのふじい5による最初のパフォーマンスであるショウビズが放送された11月は、ひとつの分岐点となった月でした。ショウビズではアップで抜かれてはじめての名前テロップも出たし、くだんの大人の事情ばりばりのQで紹介されたのは龍我くんウッチーふじい那須くんうきしょ作間くん黒田きゅうラウール。あれ、また大昇がいない、、、笑*7 11月からはぽてとにも載るようになりました。もう3誌とも完全にくくりは5人。こんどはセクシーゾーンのバックとして、2回目のえむすてにも出ました。そして満を持して、11月23日に初の情報局動画が公開されます。そこで5人はtokyo boys……あらため東京B少年と称されていました(本人たちはtokyo boysと名乗っているのですが、この名前自体がこの局動画初出で、しかもその初出の段階ですでに東京B少年に変わりましたとアナウンスされているのでtokyo boysというグループ名はこの一瞬しか存在していません)。
そうして、東京B少年という名前での活動が始まった12月。いまおもえばまだ平穏な時ではあったものの、めまぐるしくいろいろなことが動き出した感覚がありました。ついにduetにも載って4誌制覇!と喜んだのも記憶に新しい。雑誌もそのままずうっと載せてもらえているし、はやくも2回目のゴゴスマ占いにも出してもらえました。テレビといえばこの月はなんとPON!にも取り上げていただいた。膠着感すらあったジャニーズJr.界に現れたひさしぶりの超新星といった感じで、各方面に注目してもらうことができて、それはほんとうにタイミングがよかったのかなとは思っている。むしろよすぎたという感さえあるけど、それはいまはおいておくとして、12月はなんといってもオールスターズアイランドです。はじめての帝国劇場で、はじめての長期公演、パンフに載るのもはじめてだし、写真が出るのもはじめて、なによりもはじめての、セリフがあった、ということがとんでもなく衝撃だった。もちろん、とてもとてもとても嬉しいことではあったけれど、それ以上に、先輩がたをさしおいて帝劇の舞台でセリフを発している、そんな機会を与えられているということを、とても恐ろしく感じてしまった。だけどセリフのあるなしにかかわらず龍我くんなりに細かく演技しようとしているのも伝わってきて、その長い手足をまだ少し持て余しているさまも愛おしかったなぁ。三味線マンション途中から減員したのを許さないのもあたしはまだまだ言い続けるぞ。。。
12月には局動画#2も公開されたのだけど、そこでも龍我くんがダンクに挑戦するメンバーに選ばれていて、ちょ、、、まさかものすごく推されてる?とおののいたこともはっきりと覚えています。というかこのへんはもうダイアリーにさんざん書いてますね。。このころはあたしもまだ友達に「いま東京B少年ていうグループがあついんだよ! 龍我くんかっこいいんだよ!!」と言いまくっていて、あぁ、、、このころは幸せだった、、、、、おっと。12月といえばもうひとつ印象的なこともあって、少年のクリスマススペシャルの番組説明に「レギュラー総出演!」と書かれていたのですが、龍我くんもこの番組のレギュラーメンバーの一員として扱われてる、と勝手に考えていいのかな、と嬉しくなったのを覚えています。ほんのささいなことではあるのだけどね。


そこからの快進撃は言わずもがな、、、とかてきとうに投げてしまいましたが、なんだか長くなりすぎたので、とりあえず2016年編ということで1回記事を分けます。つづきはあとで。。

*1:はじめて仕事した日が入所日と考えるならそれも正しい

*2:といってもあたしが実際みているのはそのうちの8ヶ月くらいなのだけど

*3:サマパラ行っていないので、、

*4:ふじいさとなす

*5:正確にはその直前にスタジオ収録に出ているけれど

*6:収と放送の話が前後するのは仕様です

*7:ふうまのサマパラにふじい3が出たときほんとは大昇も呼ばれていたのだけど、いざ行ったらyouなんでいるの?と言われてしかたなくひとりで遊園地で遊んで帰ったという話をクリエでしていたのです