過去ログ

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いつも以上に暗くて不快になる文章


いままでずっとずっと、涼は将来スターになる子で絶対デビューするって、信じて追いかけてきた。ときどき不安になることもあったけど、でも涼は特別な選ばれし存在なんだからって信じてた。自分に言い聞かせてる面もあったかもしれないけど、でもやっぱり最後に残るのは涼でしょって心から思ってた。
帝劇でハイハイの新曲を観た。あたしがいままで信じ込んでたことがすべて崩れ去った気がした。3人でふつうに成立してたから。あたしはずっとなにがあっても涼がハイハイの顔!って思って生きてたけど、ハイハイにとって涼はべつにたいして必要な存在じゃなかったのかもしれない。言葉にしたくない、認めたくない、でもはじめてはっきりとそれを自覚させられた。
いろんな子が知ってる曲を踊ってるのをみて、あーこういう振りだったのか!?とか思ったりしていままでいかに涼のことしか追ってなくて涼のことばかり考えていたかを思い知った。どの曲も涼が踊ってる映像しか出てこない。いがりさんのLet's go to Earthが超絶きれきれでちょうちょうちょうかっこよかったのだけど、そうやって涼のいない舞台を客観的に観ることで、なんか、、、、ひょっとして涼ってはたからみたらダメなとこばっかなんじゃないか?と気づいて愕然とした、、。今年の冬帝劇は去年と違ってみんな真面目だったし、、おーいおーい。
3人のハイハイをみたくないのは違和感があるからじゃなくて、その逆、違和感がないからだった。まるであたしが統合失調症で涼はあたしの頭のなかにしか存在しないアイドルだったかのような光景だったから。何度も何度も涼って実在するんだよね? まだアイドルとしてこの世に生きているよね? と自問自答したけど不安になった。

9月7日の夜、静岡駅の新幹線の待合室で涼の伝記を読んでいるとき、それまでとまったく違うシャッターをおろしてしまったような文章に、ああ涼は心を閉ざしてしまったとすぐわかった。だけどみてみぬふりをした。気づかなかったことにした。だって不安だったから。なにもないと思いたかったから。
ほかの4人が書いた謝罪文はそれぞれあーこの子っぽいなぁと思わせる文章だけど、涼の文章だけはそれを感じられない。、、またおたくにたいして心を閉ざしてしまった、と感じた。もしかして、もう一生涼の心からの言葉なんて聞けないのかもしれないとすら思う。そしたら涼のおたくをしている意味ってなんだろう? もしかしたらほんとうに本人が書いてるのかもしれないけど、だとしたらそれなのに大人が書いたのかもと思わせてしまうような言葉になんの意味があるの?
わかってる。あたしが涼のよきファン、正しいファンでありたいのならこんなことをぐだぐだWWWに撒き散らかしていてはいけない。黙ってこの恩赦をありがたく受け入れ感謝の言葉だけを書きつらねるべきだ。あたしは涼のことをあまりにもひとりの人間として認識しすぎてしまったんだと思う、アイドルという"機能"として捉えるべきなのに。

ずっとずっと心が苦しい。みんながおじいさんの思い出を語っている場面で、かけられているクリエのポスターはハイハイの部分が折られてみえなくなっていた。もちろんそんなのたまたまかもしれない。でもそれすらも許されないんだと思った。みんなの語る思い出のなかに涼と作間は存在しない。3人の語る"おれたち"のなかに涼と作間は入ってない。しかたない。そういうセリフだから。だれも悪くないから、役と本人を意図的に混同させるこの舞台の構造を憎いと思った。
紫耀さんが「最初は歌も芝居も苦手だった」みたいなことを語っていてびっくりした。と同時にそれを聞きながら、もう涼は紫耀さんみたいなスターには絶対なれないんだと思って悔しくて悔しくて泣きそうになった。涼がスターの器じゃないなんて絶対死んでも思いたくなかったのに。

だれかたすけてほしい。でもだれが? 結局ぜんぶ自分の気持ちの問題。でも自分がどうして涼を好きなのかと考えれば考えるほど、そもそも好きなのかどうかよくわからなくなる。あたしは過去にしがみついてるだけじゃないんだろうか? それもこれも生身の動いてる涼をみたら一発で解決するとわかってるのに、涼はまだあたしの前に現れてくれない。

少し好きな気持ちを見失ってしまったかもしれない。